NON'SHEEP
■SPECIAL

LIVEREPORT.2009.1.27 shibuya O-nest
『Message from sheepcote vol.1』


LIVEREPORT... 2009.5.1 Shibuya O-nest MESSAGE FROM SHEEPCOTE VOL.2

NON'SHEEPが企画するイベント『Message from sheepcote』のvol.2が開催された。 NON'SHEEPが3バンドを招き、独自の一夜を創る。そんな気概すら感じられる自主企画 である。
 まずはmonokuroのライヴで始まる。ギターロックを小気味よく奏でる3ピース・バ ンドだ。Vo/Gt:磯谷の天性のポップさが光るが、リズムのテンポ感も実に気持ちいい。 速くもなければ遅くもないテンポ、それが彼らなりのテンポなのだろう。彼らはthepillows 山中さわおが主宰するDELICIOUS LABELより、5/20にニューアルバム『CLASSIC』を リリースする。磯谷がMCでも「売れないと死活問題」と言っていたが、まずは聴けば分か る1枚だ。もちろんライヴを先にチェックするも良し。
 続くe-sound speakerは今年3月にドラマー:南部を迎え、3ピース・バンドとして再 び動き出した。NON’SHEEPとは以前も対バンの経験もあったようだ。この日は“小さな 真実”からじっくり始まり、続く“MUSIC”でスケールの大きい「うた」を聴かせる。新曲 もキラキラしたまぶしいポップ感にあふれていた。彼らは日本語を大切に歌う姿勢が感じ られるから「うた」が心にストレートに響く。今後、彼らがどんな新しい風景を見せてく れるか、ますます楽しみだ。
 STAnが登場すると場内がザワついた高揚感に包まれる。代表曲とも言える“S.T.An”か らカッ飛ばし、一気に持っていく。レッド・ツェッペリンのTシャツを着たkygがギター リフを繰り出す。それをゴリゴリのサウンドで応酬するリズム隊。シニカルな歌と姿勢を 貫く彼らは、音だけで観る者を納得させる。この日もMCで「新型インフルエンザ」をネタ にした皮肉っぽい笑いが起こる中、音だけは真剣という「STAnイズム」が炸裂していた。 新曲2曲含めた全8曲、濃厚な時間が過ぎ去った。
 トリは主催のNON’SHEEP。暗がりの中“君の信仰”の鋭い音が放たれる。聴く人によ っては、真正面から受け入れがたい真実を歌うVo/Gt:佐藤雄駿。単にメロディに乗せる ための言葉ではなく、確かな意思を持って歌われる言葉。世の中、そういう歌は実はそれ ほど多くない。例えば“幻想的世界”の歌詞はこうだ。「この世界に執着してる意味など本 当にあるの?」……この問いかけを最初に聴いた時、かなりショックだった。そして今も 僕の中で大きくのしかかる。つまり僕らの暮らす現実の世界は、薄汚くて、嫉妬やねたみ や中傷が渦巻いている。そんな世界に執着する意味は無いと悟った時「終わり」や「死」 を意識するのかもしれない。佐藤の書く歌詞は「絶望」や「死」や「終焉」をテーマにし た歌が多い。だがそれは何かが始まるということは、逆に終わりに一歩近づくという彼の 哲学に因る。この日、最後に披露された“遺書”でNON’SHEEPは「死」を僕らの目の前 に差し出した。中枢神経を刺激するようなギター・フレーズの上を、佐藤の歌が流麗に歌 われる。そしてGt:田子がMCで大事な発表をする。メジャーのcutting edgeに移籍する。 且つ“遺書”が5月13日から先行配信される。また4月より佐藤雄駿と朝倉直紀(Table Magazines)による、死生観をテーマにしたwebsite『ウェハ』 www.weha.jp も始動した。 そう、NON’SHEEPの歌がもっと広く聴かれる状況が整った。
                          (JUICE編集部:田代 洋一)


ライナーノーツ for
2nd Album [sad morrow]

sad morrow

by 有泉智子(MUSICA)

「当たり前のことなんですけど、『Annunciation』を出して、前よりもまた一歩、終わりに近づいたなって思って。バンドでCD1枚出すことって凄く大きな一歩だから。……いつかNON’SHEEPも終わるし、僕の人生も終わるし。その終わるまでに何ができるだろう?って……結局僕が歌いたいのは生まれて死んで行くこと、始まって終わって行くことなので、死ぬということ、終わるということに一歩近づいた分、僕も歌いたいことに近づいたから。今回、歌と言葉が強くなったんだとしたら、そのせいだと思う」
(佐藤雄駿/Vo&G)

 NON’SHEEPは「終わり」から始まる世界を鳴らすバンドだ。佐藤雄駿が紡ぐ言葉はとてもダークで、深い哀しみに満ちている。
淡い希望や楽観を徹底的に排除し、この世界と人生に潜む様々な矛盾と暗部、憂鬱と苦痛、そして「死」を真っ直ぐに見つめた歌詞。それは一見、救いようのないほどにネガティヴだ。にもかかわらず、初めてNON’SHEEPの音楽を聴いた時、不思議とそこまでのネガティヴさを感じなかった。
メランコリックなアルペジオを掻きむしるギターの蒼い衝動性。前のめり気味に駆け抜けて行く澱みのないビート。メロディに宿る儚くも眩しい光。そして何よりも、佐藤の声--切実な覚悟が滲む叫びにも似た佐藤の鋭い歌声は、彼が目の前に横たわる巨大な闇を受け入れた上でなお、この世界を「生きて」行こうともがいていることをはっきりと告げている。
ここにあるのは絶望や諦めなんかではない。たとえばSyrup 16gが残したたくさんの名曲達も、光の届かない奈落で闇に支配された世界を見つめながら、それでも明日へと向かうために歌われた歌ばかりだった。NON’SHEEPもそうだ。この「決してポジテイヴな言葉を歌えない男の、だからこそ懸命に生を模索し、明日へと向かう歌」は、巷に溢れるピースなふりした笑顔で安易な希望や永遠の愛をささやく歌よりも、ずっとずっと強く、確かな光の感触を私達の元にもたらしてくれる。

「1日に1回くらい、バンドが終わることや自分が死ぬことを想像するんです。そうすると一瞬凄く不安になるんですけど、その一瞬を超えた時に、凄くフラットで落ち着いた気持ちになれる自分がいて。……そういう気持ちになるための歌を、僕は作ってるんです」
(佐藤)

 真夏の暑い日に世に放たれたファーストアルバム『Annunciation』から1年を明けずに届いたセカンドアルバム『sad morrow』。
ファーストと比べ、音楽的な表現力の幅と深みがグンと増している。ジャジーなリズム隊の上で軽やかにギターとピアノが舞い、センチメンタルなメロディが翼を広げる“最終便”や、チェロをフィーチャーしながらも、躍動感の強いサウンドと爆発力あるポップなメロディがアグレッシヴに弾ける“パレード”といった新機軸から、ますます鋭利に研がれたギターサウンドがバーストし、アップスピードで断崖を一気に駆け上がる“砂の城”、狂気と覚醒が極限状態で摩擦を起こすヘヴィな“消失”といった前作からのコアを磨き上げた楽曲まで、全9曲。
2007年末にベーシストが脱退し、佐藤と田子剛(Gt)、額賀康孝(Dr)の3ピースとなったNON’SHEEPだが、その変動がダメージになることはなかったと証明すると共に、音楽的な彩りを増すための挑戦と成長に確かな手応えを感じるアルバムに仕上がっている。
そして歌詞は、さらに本質に近づいた。たとえば前述した“パレード”のポップなサビで歌われるのは、こんな言葉だ――。

救いは無いさ
パレードは続いてく
影は隠されて肥大する
何が正しいかそれはどうでもいい
たった5分だけで
うんざりだ
  “パレード”

 他にも、<死ねない訳はどこにあるのか?/探しながら戸惑う>(“ノック”)、<最終便では目的地へ行けない/それなのに君は飛び乗って/わずかな期待抱いてるみたい>(“最終便”)、<埋葬待ちの状態なんだよ/冷静になってさ気づいた>(“公園に”)といった、聴く者の喉元にさり気なくナイフを突き付ける言葉が全編に散りばめられている。しかし、その歌詞に込められたエネルギーが決して陰性のものでないことは、前述した通りだ。
 私達は今日もまた、「終わり」に向かう1歩を刻む。それを痛いほどに自覚することによってしか、今この瞬間の輝きは生まれないことを、NON’SHEEPは告げている。この『sad morrow』でスパークするどうしようもないほどロマンティックな光は、そんな哀しい宿命を背負う生命の光、そのものである。

有泉智子(MUSICA)


ライナーノーツ for
1st Album [Annunciation]

Annunciation

by 鹿野 淳(MUSICA)

 表現というのは決意のようなものである。だから、そこに断定や覚悟がなければ、曖昧なものとして映ることが多い。しかし、その表現をもたらす僕らのほとんどの時間は決意なんて潔さとは程遠い「彷徨う時間」に充てられている。生きていなければ死ぬしかないし、死へ一歩一歩近付くことを明日と呼ぶ矛盾を孕んだ僕らは、彷徨うことによって生のリアリティを感じる、何とも哀しい生き物なのだろう。
 何もロックはショック(暴動)やロジック(屁理屈)の音像なんかじゃない。ロックとは、最も無垢な自己告白である。彷徨う僕らのリアリティを生々しくぶつけるメッセージとビート、そして歪んだり乾いたり透明になったりするサウンド……。例えば生きている中で、最終的にあなたは自分に何を望むのだろうか? たぶん、きっと、間違いなく「正直でありたい」ということだと思う。そんなことが一番難しい世界を生きているからだ。ロックはその「正直でありたい」である。無垢過ぎてそのまんまじゃ人にも言えないそんな願いを、自分に課すように鳴らす音楽、それがロックである。

NON’SHEEPは、真っ当な4ピース・バンドである。メランコリックなギターのアルペジオと、千切れそうな糸が喉に張り付いたようなヴォーカルが印象的なバンドである。そしてその飛べない鳥のような華奢なメロディー・ワールドに、翼を生やさせるべく掻き鳴らされるもう一本の轟音ギターや、つんのめりながらも目を瞑り続けて疾駆するような衝動的なビートが彩られていく、センチメンタルに「蒼い」バンドである。個人的にはシロップ16gやストレイテナーやアートスクールのアーリー・デイズの風が、首元をさっと吹きぬけていく感触を得た。そういうバンドである。

余命5秒
明日は見ないでいい
届きはしない日差し
時計の針は既に過ぎていたんだ
現実はそこの角を曲がったところにあるさ。
“5秒”

ネガティヴである。諦めや死と、哀しいほどフラットに向かい合っている世界が、このアルバムのほとんどを占めている。いろいろなミュージシャンとインタヴューをしているとよく「否定やネガティヴや悲しいことを歌っていかないと、本当の歓びや肯定やポジティヴは表せない」という話になる。その通りだし、だから光と影を投射することによって名曲が生まれる。
しかし。
NON’SHEEPの音を初めて聴いた時、この論法とは違うものを感じた。
ポジティヴを表したいとか、幸福を考えることすら放棄しながら明日へ向かって行ってしまう「死ねない僕ら」みたいな、諦めにも似た独特のテンションを感じたのだ。ここにこのバンドの無垢なまでのストイックさと狂気のエネルギーのオリジナリティがある。簡単にポジティヴやネガティヴとか、光と影とかに対比させることのできない厄介なる混沌に満ちたインナーワールド。しかも常に出口は、なし。――でも、大抵な場合、僕らはこんなことを実感しながら時を刻んで「生きちゃっている」。答えなんて簡単に見つからないし、簡単に見つかった答えに依存するほど生きるということは安いもんじゃない。
ある意味、人は上手くいかないほど燃えるし、エンディングがないからこそエモーショナルな衝動をたぎらせるのかもしれない。このNON’SHEEPの絶対零度のアルバム『Annunciation』は、そんなことを響かせてくれる。

鹿野 淳(MUSICA)

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